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「(ごめんなさい、ごめんなさい)」

心の中で何度も謝り続ける。
最悪な形で巻き込んでしまった事、彼女の心を傷付けてしまった事――

「こいつの命が惜しかったら動くんじゃねー!」

室内の様子を察知し、逃げようとしたリデルを捕まえてナイフを突きつけるキッド。

「く…卑怯な」

愛娘を人質に取られ、蛇骨大佐が顔を歪める。

「卑怯もくそもねー。こっちは命張ってんだ」
「あ、貴方は…」

ナイフを突き付けられながらキッドを見上げていたリデルが、不意にこちらを見た。

「… 、」
「…リデル…ごめんなさい…」
「貴方…そう、解ったわ」

目を伏せるリデルを見ていられなくて、 は目を反らす。
キッドに「行くぞ」と声を掛けられ、彼女と目を合わせないまま部屋を出た。

「リデルお嬢様!」

部屋の周りには、騒ぎを聞き付けた騎士達が集まっていた。
その先頭にはカーシュの姿があり、ナイフを突きつけられているリデルの姿を見るなり大きく叫んだ。

「貴様、お嬢様を離せ!」
「離せと言われて離すバカがどこにいるんだスカタン!」
「むがが…!」

キッドに一蹴され彼女を睨み付けるも、カーシュもリデルが人質に取られている以上手が出せない。

「… ?!」

ふと、 に気付いたカーシュが驚きに目を見開く。

「お前…どうして…?!」

は覚悟を決めてカーシュの前に対峙した。

――覚悟してた事じゃない。大丈夫。
すう、と息を吸い、カーシュの目を真っ直ぐ見つめた。

「ごめんカーシュ。私には目的があるの。その為に館に来た」

突然の告白に、カーシュの表情が驚きから悲痛なものに変わっていく。

「俺達を騙してたのか…!」
「……そう思ってもらって構わないわ。でも、皆と過ごした時の気持ちに偽りはないの…」
「…っ、そんなの信じられるか!」
「…そう…よね」

ズキンと心が痛む。
やはり解ってもらえる筈などなかったのだ。

…こんな状況じゃなければ。
事情を話せば、もしくは、解ってもらえるんじゃないかと、心のどこかで思っていた。
自分のせいだ――全部、もう遅い。

自嘲気味に笑い、 は目を伏せた。

、こっちだ!」
「…うん!」
!待て!」

呼びかけるキッドの声に、 はカーシュに背を向け走り出した。

「…まずい、後がない」

達が辿り着いたのは蛇骨館の屋上だった。
横長に伸びた敷地は中央に美しい池があり、周りをぐるりと水が流れる構図になっている。照明が照らされキラキラ輝いているが、それに見とれている暇はない。
池の奥は道が更に狭くなり、突き出した壁は崖に直結している。
他に道はない。実質行き止まり――。
ジリジリ追い詰められ、とうとう端に背中がついてしまう。

「どうしたネズミ共。後がないぞ」
「うるせー!」

ヤマネコの声に噛み付くキッド。だが、余裕がないのは目に見えていて。

「取引をしようじゃないか。」

一歩、蛇骨大佐がこちらに近付く。

「娘を解放すれば見逃そう。どうだ?」
「ケッ、そんなの信用出来るか!」
「……」

一瞬の事だった。

どうにか逃げ道がないか、屋上の下を覗き込んだキッド。
その隙をついてヤマネコがナイフを取り出し、そのままキッドに向かって投げ付けた。

「キッド!危ない!!」
「な…っ」

叫ぶセルジュ。
振り返り目を見開くキッド。
ナイフは真っ直ぐにキッドに、リデルに向かって飛んでいく。

「…危ねえ!」

キッドは咄嗟にリデルを押し出した。
リデルは地面に倒れ、ナイフの軌道から外れたが、避ける事の出来なかったキッドの腕をナイフが抉った。

「キッド!」
「く…っ!」

キッドはセルジュの声に答える事なくそのままフラフラと後退り…屋上の縁に背を付け、頭から下に落ちて行った。

「――リ、リデル…!」

その光景を呆然と見つめていた は、我に返ると慌ててリデルに駆け寄った。
傷が気になるが、キッドは恐らく大丈夫だろう。

「リデル、大丈夫?!」
「…ええ、私は大丈夫よ…」

そっと抱き起こすと、しっかりとした声が返ってきた。
多少擦り剥いてはいたが、どこも怪我をした様子はない。 はホッと息を吐いた。

「リデル、私…ごめんなさい」
…」
「ナイフが当たらなくて、良かった…」

キッドがリデルを押していなければ、あのナイフはリデルを貫いていただろう。
キッドがリデルを庇う事を予想して――と考え、 は少し遠くにあるヤマネコの顔を見た。

そこにあったのはどこまでも冷たい瞳。

「(…違う)」

庇う事なんか予想していない。
ヤマネコは――リデルもろともキッドを殺そうとしたのだ。

「(何て、)」

ゾクリと鳥肌が立つ。
何の躊躇もなく味方の娘すらも傷付けられる男。

「(何て…恐ろしいの…)」

はこの世界に来て初めて、「人」に恐怖を感じた。
ヤマネコは少しの間の方を見ていたが、すぐに視線は外される。
その視線の先には、ヤマネコを睨みつけるセルジュの姿。

「お前は何の為に生き…何の為に死ぬのだ?」

突然、ヤマネコがセルジュを見つめて言った。

「私は長い事待っていたのだよセルジュ。お前をな」
「お前は一体…」

セルジュの問いにヤマネコは答えず、ただ笑みを浮かべるだけ。
一歩、一歩。
近づいて来る。

「さあ来るがいい、時の刺客…クロノトリガーよ!!」

セルジュが眉を寄せるのも構わず、ヤマネコがセルジュの目の前で叫んだ。
その手がセルジュの腕を掴もうとした瞬間、セルジュは身を翻し。

「む、待て!」

キッドと同じ様、屋上から下へと身を投げ出した。

「(…追いかけなきゃ)」

何が起きたのか、何の事なのかはよく解らない。ただ、早くこの場所から逃げなくては。
セルジュ達に続こうと立ち上がった の体を、何者かが引き留めた。

「お前だけは行かせぬぞ」

ハっとして振り返れば、いつの間にか後ろに立っていたヤマネコが、 の腕を掴んでいて。

「や…、離してっ!」
「そうはいかぬ」

掴まれた腕がギリギリ痛む。

「お前は元々私と共にいる筈なのだ」
「何を言って…」

あまりに真剣な瞳に は口を閉じた。

――この男は何かを知っている?

否、知っていると気付いた時、 はどうしようもない恐怖に襲われた。

私はそれを知ってはいけない。
大切な何かが、壊れてしまう気がする。

全身から血が引いていき、ぐらぐらと世界が揺れる。
近くから、遠くから、心配そうにこちらを見つめるリデルとカーシュの姿が目に入ったが、目の前の男から目が離せない。

「お前は私が…」
「…嫌!!」

咄嗟にエレメントを発動させ、ヤマネコとの間に炎を発生させた。
加減をしなかった炎は の体をも焼いたが気にする余裕はなかった。
一瞬怯んだヤマネコの隙を取ってそのまま駆け出し、屋上の淵に足をかける。

「(た、高い!怖い!でも、これしかない!)」

これ以上あの場所に居たくなかった。 は覚悟を決め、屋上から飛び降りた。
――景色が凄い速さで落ちて行く。

!!」

薄れ行く意識の中、名前を呼んだのは誰だったのか――



(何かが始まってしまった)
(いや、もう既に始まっていたのかも知れない)
(運命は私の意思を無視して進む)
(…運命の波に飲まれていく)



Section1「始動する運命」完.
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