27


 隠者の小屋襲撃から一夜が明けた。身支度を整えてキッド達の元に向かうと、何故かツクヨミが合流していた。

「えっ?どういう事?」

 状況が飲み込めないに、ツクヨミが笑って答える。

「まあまあ、細かい事は気にしないで。ヤマネコ様…いや、ヤマネコの横暴さに耐えかねてさ。ちょっとこっちに入れてもらおうと思ってね」

 恐らくそれは嘘であろうが、は特に追求する事なくフェイトとキッドの様子を見た。フェイトはいつも通りの表情で、キッドは若干釈然としなさそうな様子だったが、意義を唱える事はないようだ。
 その様子には「へぇ…」と気のない返事をした。何とも奇妙な面子だな、とは思ったが、この面子ではもはや今更だなと、どうでも良くなっていた。

「うん、じゃあよろしく……っと、ちょっとこっち来て」

 ツクヨミの腕をがっちり組み、半ば引きずるように離れたとことに連れていく。そして内緒話をするように、手を口元に当てながらひそひそと話し出した。

「ねえ、どうしたの。何かあった?」
「…まあ、あたいにも色々あるんだよ。それよりあんたこそどうするつもりなのさ?」

 ツクヨミは何も言いたくないのか早々に会話を打ち切り、逆に質問してきた。その問いにはうっと息を詰まらせる。

「わ…私は…」

 真剣な瞳で見つめられたは、己の胸の下あたりで手を握ると、ぽつりと心境を零す。

「色々考えたんだけど、まだうまくまとまらなくて…。だけど結局、どうにもならない事もあるんだなって。それなら、自分が一番したい事を優先に考えようかな…なんて…」
「それがあの男って事?」

 ツクヨミはちらりとフェイトを見遣ってから、訝しげに眉を寄せ、「理解できない」と言うように首を振った。

「酔狂なヤツだね」
「…そうだね。でも…あの人には、私しかいないから…。私くらいは…傍にいてあげたい」

 瞳に淀んだ水が揺れる様な光を湛えたを見て、呪いのようだ、とツクヨミは思った。
何も、自ら追い込むような事をしなくてもいいだろうに。それとも、これもフェイトの思惑なのだろうか。

「…馬鹿真面目にも程があるよ」
「……うん、そうかもね……。でも、勿論全部諦めた訳じゃないよ」

 情けなく笑うの姿に、ツクヨミは再び「馬鹿」と零した。
 そう、は諦めた訳ではない。何か少しでも情報を得られないかと、行きたい場所があるのだが…。
 は何やらキッドと話しているフェイトを見た。そう、この男。何せ常に傍にいるので、一人で行動する時間がない。夜中に一度抜け出そうとしてみた所、ものの数秒で見つかった。おかしいと思って問い詰めると、どうやらカゲネコに監視させている…らしい。本人は護衛だ、と言っていたが。

「(いやほんと、あれは今考えてもおかしい)」

 …ストーカー束縛厨二男。
 ツクヨミにはああ言ったものの、ちょっぴり自信がなくなった。


「!…何?」

 過去のあれこれを思い出してげんなりしていると、フェイトがこちらを振り返った。「まさか心まで読めるんじゃないでしょうね」と思いながらそちらに体を向ける。

「私は少し行く所があってな。少しここで待っていてくれ」
「なんだよ?寄り道してる暇なんかないだろ?」

 キッドは不満を漏らすが、にとってはまさかのチャンスだった。逸る胸を押さえながら、平静を装ってフェイトに問い掛ける。

「どこに行くの?」
「なに、ちょっとな…。私が帰ってくるまで、大人しくしているんだぞ?」
「はいはい」

 は軽く受け流し、機嫌良さそうに肩を抱いてきたフェイトの手を払い落とした。フェイトは不満そうに口を尖らせたが、「やる事あるんでしょ」と言うと渋々去っていった。

「(あれ、ほんとに神様?)」

 威厳の欠片もない姿に色々思うところはあるが、まずはこのチャンスを無駄にしてはいけない。
 はフェイトが見えなくなったのと同時に、キッドに聞こえないようツクヨミに耳打ちした。

「ねえツクヨミ、ちょっとお願いがあるんだけど…」
「なに?逃げる気になった?」
「ち、違うよ」

 目を細めて面白そうに笑うツクヨミを尻目に、は辺りを見回す。そしてフェイトの姿が完全にない事を確認すると、小さく手を合わせ、頭を下げて懇願した。

「…ちょっと行きたい所があって。連れて行ってくれないかな…無理?」

 いくらの魔力が高くても、瞬間移動が出来る訳ではない。ツクヨミは何度か目の前に現れたり消えたりしていたので、まあ恐らく出来るのだろうと考えての事だった。断られたらなんとか一人で行くしかないが、カゲネコの事を考えると難しい。どきどきしながら答えを待っていると、少しだけ思案したツクヨミが静かに頷いた。

「……いいよ。断っても一人で行きそうだし。あいつが帰って来た時に、あんたがいないと煩いだろうからね」
「ほんと?ありがとう!」
「そうと決まればさっさと行こうか。……ねえキッド!ユナがセルジュの束縛で参っちゃってるから、ちょっと息抜きに連れて行くよ」

 何だその言い訳は。そう思ったが、キッドはに同情的な目を向け、「ああ、良いんじゃねーか」などと返してきた。恥ずかしさやら情けなさで、は思わず顔を覆った。

「ちょ…ほんとやめて…」
「はいはい。愛されてるねー」
「棒読みで同情しないで…!」

 ツクヨミは、「あいつ一発殴る」と溜息を吐くの肩を軽く叩いて「じゃ、出発。あたいから離れないでね」言った。それに返事をする間もなく、耳元でブン…と低い音が響いたと思えば、すぐに視界は闇に包まれる。その闇が晴れていくと、は目的の場所に立っていた。その一瞬の出来事に、もはや感動するしかない。

「すごい…本当に来れた…」

 つい先日まで喧騒が嘘のように、静謐な空気に包まれた黄金色の館。天井まで覆い尽くす本を見て、ほんの少しだけ心がちくんと傷んだ。
 マルチェラに会いに訪れたのが遠い昔の様で…漂う匂い、その懐かしさには目を細めた。

「……いつか来ると思っておったよ」
「!」

 音もなく現れた人影にぎくりと身を縮める。しかし、その人影が目的の人物である事を確認すると、少しだけ緊張を解いた。

「…時の預言者、さん」

 そう、が会いに来たのは、かつて不可思議な言葉を残したこの老人だった。

「さて、。わしに何を聞きたいのかね」
「……」

 聞きたい事があったのに、いざ聞こうとすると…怖い。ここで何の情報も得られなかったら──いや、違う。本当に怖いのは…突きつけられた現実に向き合う事だ…。
 戦闘でもあったのだろうか。割れているステンドガラスから、冷たい風が吹き込む。なびく髪を耳に掛けながら、は口を開いた。

「…あなたは何か知ってますよね」

 それは疑問ではなく、確信だった。
 あの時預言者は言った。が「運命に選ばれた存在」だと。

「(この人は、私とフェイトの関係性を…こうなる事を知っていた。きっと、この先の事も──)」

 一瞬怯んだような預言者の顔を見ないふりして、頭を下げた。

「お願いします。教えてください。私は、諦める事なんて出来ないんです…」
…」

 預言者は痛ましそうな顔でを見つめるが、それでも静かに首を振るだけだった。

「わしには言えんのだよ…すまない」
「どうして…!」

 は顔を上げて預言者に詰め寄った。何かを知っているのに、教えてくれない。その非情な答えに、預言者の外套を掴んだ手が震えた。

「私は、ただ無駄にこの世界に投げ出されただけなんですか…!」

 の叫びに、ややあって預言者は重い口を開いた。

「……フェイトを救うという事は…計画を破綻させてしまう事になる。だからわしは、お前さんに話す事は出来ん」
「計、画?」

 その疑問に答える事なく、預言者は己を落ち着かせるように小さく息を吐いた。

「数ある並行世界で、お前さんの存在を見たのは、今回で二度目じゃ」
「え…」
「一度目のお前さんは、フェイトが死んで心を失い、失意のままどこかに消えていったよ」

 可哀想に、と。遠い誰かに放たれた言葉が、そこにいるユナの心に突き刺さった。

「…そう。やっぱり、死ぬんですね…」

 予想していたとは言え──その答えは、覚悟していた以上にの心を切り裂いた。

「なんで、どうしてこんな事になっちゃったの…」

 は顔を覆いその場に崩れ落ちた。泣いてもどうにもならないのに、涙が止まらない…。
 打ち拉がれるその肩に、そっと預言者の温かな手が添えられた。

「一つだけ、可能性があるとしたら…」

 苦渋に満ちた声に、涙を流したままは顔を上げる。

「お前さんの持つ、その魔力。その魔力は、お前さんが元の世界に帰る為の切符なのじゃよ。世界を超えるほどの強大な力。それを使えば、もしかしたら何かが…」

 預言者は首を振った。

「それもあくまで憶測に過ぎん」
「……」
「もはや何も言える事はない…。さらばじゃ、…全てを話せぬ事を、許しておくれ…」

 預言者はを立ち上がらせると、背を向けて部屋の奥へ行ってしまった。は惚けたように立ち竦んでいたが、はっと我に返ると、預言者に向かって頭を下げ、その場を立ち去った。

「……」

 が立っていた場所を見つめながら、預言者は──ガッシュは思う。
 話すべきではなかった。もし、がセルジュと敵対し、セルジュを倒してフェイトを救ってしまえば、全てが台無しになる。少しでも、計画が失敗してしまうリスクを増やすべきではないと、そう思っていた。
 だが、友人の心が死んでしまうのを、「彼女」が望む筈はない。それは、一度目で重々承知していた。だからと言って、フェイトを生かしておく事は出来ない。ガッシュ達の最優先は、「彼女」の解放なのだから。
 …それでも、前回の彼女を思い出すと、罪の意識に苛まれる。助けてやりたい、とは思う。だが、その最善の方法はガッシュにもわからなかった。

「……」

 せめて祈る事しか出来ない。
 どうか、今回の彼女には──幸福が降りかかってくるように。そう目を伏せたところで、自嘲気味に笑った。彼女の想い人を殺そうとしているのは、他ならぬ自分なのに。

「…虫のいい話じゃな」

++++++++++

 図書館を出て渡り廊下に出ると、張り詰めていたものが切れたようで、はその端にずるずる座り込んだ。

「(…思っていた以上に、最悪だ…)」

 だけど、この力を使えば、何かが変えられる?──何かとは何か。思考が、嫌な方へと向かっていく。

「(殺されるくらいなら──)」

 沸き上がった自分の恐ろしい考えに身震いする。頭を激しく振って、その考えを振り払った。

「(私は何を考えて…)」
「本当にやるつもり?」
「!ツクヨミ」

 頭を抱えて長いため息を吐くと、上から声が掛かった。そういえば姿が見えなかったが、どこかで見ていたのだろうか。
 ツクヨミは感情の見えない目でこちらを見下ろしている。
 彼女の帽子についた二つの鈴が、風に揺れて小さく音を立てた。

「最悪、自分の世界に帰れなくなるんだよ。それでもいいって言う訳?」
「……私は、諦めたくないだけだよ」
「……」

 黙り込んでしまったツクヨミに、はふっと笑いかける。

「ツクヨミも、私と同じなんだよね?」
「──…は、」
「諦められなくて…必死にもがいてる」
「あたいは別に、あんたと同じなんかじゃ…」

「あ」と思った時には遅く、気丈に張っていた瞳が揺れたと思ったら、そこから一粒の涙が零れ落ちた。
 慌てて差し伸べた手は冷たく払われてしまった。ツクヨミはを睨みつけながら、ぐ、と耐える様に唇を噛んだ。

「やっぱり、連れてくるんじゃなかった」
「ツクヨミ」
「ばかだね、あんた。必死すぎて、見てらんないよ、もう」
「うん」
「ほんとばかだね…ほんと……なんであたいがこんな事をしなくちゃならないんだ…」
「うん…うん…」

 再び差し伸べた手は拒絶されなかった。その細い肩を抱きしめて、ユナも涙を流す。
 目的はあれど、それとは別に、どうしても割り切れない思いがある。
 きっと、ツクヨミも何かに悩んで、陰で涙を流していたのかも知れない。

「私たち、こうなるしかなかったのかな…」
「……さあね。でも、結果こうなったんだからそうなんじゃないの…」

 どうして、涙ばかりを背負う人がいて、哀しんだ分だけ幸せになれないのだろう。
 このままずっと、哀しい思いを抱えたまま過ごさなければならないのだろうか…。

「…私、ツクヨミの事好きだよ…あなたが何者でも、大好きだよ」

 せめて、伝えたかった。
 ツクヨミは怯えたように体を硬直させた。そして、いつもの様子で、呆れたように笑った。

「…ばかだね。あたいは、あんたの敵なんだよ」

──薄々感じてはいた。それでも、全てを曝け出して話せるのはツクヨミだけだった。にとってそれが、どれだけ嬉しかったか。
 はもう何も言わなかった。互いの宿命を憂いながら、ただ黙って、ツクヨミを抱きしめる腕に力を込めた。

++++++++++

 全ての準備は整った。明日には神の庭に入る。
 どうにも眠る事の出来なかったは、横になったまま目を開けた。焚き火に照らされながら、寝息を立てているキッドとツクヨミの姿があったが、フェイトの姿がどこにもない。気になったはその姿を探そうと、そっと立ち上がった。

「…」

 少し歩くと、開けた場所でその後ろ姿を見つけた。
 だけど胸が痛くて、声を掛ける事が出来ない。立ち竦んだまま、月明かりに照らされたフェイトをじっと見つめていた。
──彼は今、何を思っているのだろうか。後ろからではその表情は見えない…。

「眠れないのか?」

 いつから気付いていたのか。フェイトは振り返る事なく声を掛けてきた。
 は、ぎゅ、と胸元を掴むと、少し迷ったのち駆け出し、フェイトの背に勢い良く抱き付いた。更に頭をぐい、と押し付けると、フェイトは大層驚いたようだった。

「…珍しい事もあるものだな…」

 普段可愛げのない態度ばかり取っているせいか、心底珍しげな声が返ってきた。

「……一つ、言いたい事があるんだけど」

 そっと離れてから、改めてフェイトと向き合う。

「…死なないで」
「ふっ。何を言うかと思ったら…誰かに何か吹き込まれたのか?」
「…あなたの束縛はサイテーだと思うけど、いなくなったら寂しいもの」
「落とすのか持ち上げるのかどっちなんだ」

 こんな時でも、やっぱり可愛げのない言葉しか出てこない。それでもフェイトは笑ってくれた。

「まあ、私が死ぬ事はない──だから、そんな顔をするな」

 脆く、不安定な場所に立たされているは、その言葉を信じたくなる。
 顔を上げて、真紅の瞳を見つめる。その瞳の中に自分が映っている事が──この上なく嬉しい。
 頬に流れた一筋の涙を、フェイトの少し骨ばった手が拭う。は離れかけたその手をそっと包んで、自分の頬に添えるように抑え付けた。

「………あなたが、好き。クロノポリスで名前を呼んでくれた、あの時から」
…」

 体温が離れていくのが寂しかった。もっと触れ合っていたかった…。

「私も、最初からお前だけだ」

 頭上から落とされた唇を、は静かに受け入れた。

「死なないで」という、その限りなく可能性の低い願いを。
「死なない」と言ってくれた、その言葉を。

 少なくとも、触れ合っている時だけは、信じる事が出来た。

++++++++++

どうして、涙ばかりを背負う人がいて、哀しんだ分だけ幸せになれないのだろう。という台詞は、
「わだち」嶋国のぞむ様の詩格納庫からお借りいたしました。

http://www.ne.jp/asahi/simaguni/home/

(数年前に許可頂きました。ありがとうございます)
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