29


 長い道のりだった。次元の揺らぎを復活させ、セルジュ達はやっとアナザーワールドに戻ってくる事が出来た。
 そこで発覚したのが、セルジュの体を奪ったヤマネコが人間の敵に回ったという事態だった。反乱を起こしあちこちで暴れまわっているという。
 ヤマネコの情報収集をしている内に、パレポリ軍に捕らえられたリデルを救出する事になった。トラブルに見舞われつつも無事救出を終え、蛇骨館から慌ただしく逃亡し──今やっと隠者の小屋で小休止出来た所だ。
 カーシュとゾアはラディウスと何か話し込み、リデルはマルチェラと蛇骨大佐の側で看病を。ツクヨミは壁に寄りかかって暇そうに揺れている。
 セルジュは仲間達の様子を一瞥すると、ふーっと長い息を吐きながらベッドに腰掛け、何をする訳でもなく天井を見上げた。

「(彼女達は、どうしているだろうか)」

 古龍の砦で一緒だったキッドと(グレンは蛇骨館で無事が確認出来たので問題ない)キッドは刺されて重傷であったし、も次元の渦に飲み込まれ消えてしまった。
 殊更に執着を見せていたヤマネコがそのまま放っておくとは思えない。二人に関して何も情報が得られず、心配は増していくばかりだった。

「(…どうか、無事で)」

 最悪の事態になっていない事を祈りながら、そっと瞼を下ろした。

「おい小僧」

 セルジュの事を「小僧」と呼ぶのは一人しかいない。
 掛けられた声に視線を向けると、予想通り険しい顔をしたカーシュがセルジュを見据えていた。

「お前に一つ聞きたい事がある」
「……の事?」

 カーシュがわざわざ何か聞きたいなんて、共通の存在であるの事に違いないとセルジュは確信していた。
 の名前が出て、リデルとマルチェラが反応するのが視界の端に見えた。それに目を向ける事なく、セルジュはカーシュを見つめ返す。カーシュは一瞬驚いた様に目を瞬かせたが、すぐに元の表情に戻った。

「ああそうだ。古龍の砦で…大佐の応急処置をしたのはあいつか?」
「そうだよ」
「…そうか」

 やはり、という様な、安堵したような声色。何を考えているのか、セルジュには何となくわかる気がした。安堵したその表情に、セルジュの胸にちりちりとした生憎心が生まれ、それを吐き出すようにわざと意地悪な質問を投げつけた。

「カーシュは彼女の事怒ってる?ほら、騙して侵入してた訳だし」

 核心を突くとカーシュは少しバツの悪そうな顔をした。

「…そりゃ最初は戸惑ったけどな。だけどなんか探し物してただけだろ?俺たちに害をなそうとしたわけじゃねえし…むしろ謝ってやんねえとな」
「……謝る?」

 意外な答えだった。
 カーシュはがしがしと頭を掻きながら、セルジュから顔を背けた。

「あの時…あいつの話ちゃんと聞いてやれば良かったんだよな。俺はどうもすぐ感情的になっちまうからな…」

 カーシュの言葉に、マルチェラが身を乗り出しながら「あたしも」と続いた。

「あたしも、姉ちゃんに会いたい。あんなお別れ…納得出来ない」

 唇を噛んで、寂しそうに俯いたマルチェラを慰めながら、リデルも言葉を紡ぐ。

「お父様を助けてくれたお礼を言わなくちゃ。…それに、あの子の抱えているものを、私たちは知りたいと思ってるの」
「リデルさん…」

 は騎士団を裏切ったという気持ちのまま旅を続けていた。吹っ切れたと言っていても、時折見せる憂いの原因は間違いなく彼らだった。
セルジュは彼らと行動を共にしている内に、少なからず好意のあった人間を許さないような人たちではないと思っていたが、その通りだったようだ。は罪悪感から、騎士団そのものから目を背けていたようだが──。

「(なんだ、何も心配する事なかったんだ)」

 彼らと仲直りが出来れば、何も心配事がなくなる。また、あの花のような笑顔を浮かべてくれる。そう確信したセルジュは、安心した様に笑った。

「…あたいはそんな大団円になるとは思えないけどね」

 セルジュの隣で静観していたツクヨミがぽつりと呟いた。そして、驚きに目を見張るセルジュに警告するような視線を送る。

「ヤマネコ様、事態はそんな単純じゃないんだよ。あの子は運命と複雑に絡み合っている。それをアンタ達が許せるかどうか、わかったもんじゃないね」
「ツクヨミ…それはどういう事だ?」
「──それはね…」

 ツクヨミが一瞬言い淀んだその時、地面を轟かす爆発音が鳴った。

「!何事だ!」

 同時に起こる衝撃に小屋が大きく揺れる。カーシュがリデルを庇いながら、小屋の入り口を見上げて叫んだ。

「きゃつら、きおったな」

 声に振り向くと、いつの間にか蛇骨大佐が起き上がっていた。しっかりとした足取りで歩く様子にリデルの顔が明るくなる。

「もう大丈夫なのですね、お父様。」
「ああ、心配をかけたな。マルチェラのおかげだ。苦労かけたな、マルチェラ……皆のものにも心配かけたな」

 安堵した空気が充満したのも束の間。再びの衝撃に、カーシュが苛立ったように舌打ちをした。
 一体誰が──セルジュがそう思った時だった。

「でてこい!ヤマネコ!今日こそ決着つけてやる!」

 その懐かしい声とセリフに、ぎくりと、心臓を掴まれた気がした。周りもざわざわと、戸惑った空気が流れる。

「今の声…」
「キッド……」

 セルジュは弾かれた様に駆け出した。後ろで制止する仲間の声も構わず、一目散に外へ飛び出る。

「ヤマネコ!キサマだけは許せねえ!今日こそ決着をつけてやるぜ!」

 再会は最悪の形だった。
 キッドは飛び出してきたセルジュの顔を見るなり、憎悪の表情を浮かべて切り掛かって来た。

「キッド…?!」

 繰り出される攻撃をかわしながらキッドに近付こうとするのを、追いかけて来たツクヨミが必死で止める。

「何してるのヤマネコ様?!そいつはもうあんたの知ってるキッドじゃない!」
「クク…その女は確かにキッドだ」

 ツクヨミの声に割り入ってくる声があった。
 そこには「セルジュ」がいた。セルジュの体を奪ったヤマネコが、愉快そうに笑っていた。
 怒りと混乱で思考が纏まらず固まるセルジュを前に、ヤマネコは悠々とキッドに声を掛ける。

「ただ、そうだな。今はお前がヤマネコだ。そして私がセルジュ。立場が変われば人との関係も変わる。その女にとっては、ルッカの仇はお前という訳だ。なあ、キッド」
「ああ、今日こそヤマネコを倒して…ルッカ姉ちゃんの仇を討ってやる!」
「──待って」

 今にも飛びかかって来そうなキッドを止める声が入った。セルジュの心臓が再び大きく鳴る。期待と、一抹の不安。声からやや遅れて現れたのは、待ち望んだ彼女だった。

…!」

 喜びが全身を駆け巡り、セルジュは上擦った声を上げた。キッドから訝しげな視線が向けられたが、セルジュはそれには気付かなかった。

「(ああ、無事だった。やっと会えた。だけど)」

 が、ヤマネコの袖を掴んで何か話し掛けている。ヤマネコはその手を取り、静かに首を振りながら笑みを浮かべる。それを見たセルジュの胸に、ざわざわとした焦燥感が生まれる。

「(どうして、あいつの側にいるんだ?)」

 こちらを見据えるキッドの様子もおかしい。
 まるで、あの時の事などなかった事みたいに…。
 パズルのようにはまっていく思考。推測される事態に、セルジュの背に冷たいものが走った。

「覚えて、ない?」

 からからに乾いた口から声を絞り出すのがやっとだった。
 は微かに俯いた後、再び顔を上げこちらを見た。彼女のこげ茶の瞳が、哀しみの色で染まっていた。

「……久しぶり。元気だった?怪我してない?」

 眉尻を下げたまま力なく笑うは、いつもの彼女だった。

「私は、全部覚えてるよ。だけど……そっちには行けない。ごめん…」

 まるで、鈍器で殴られたような衝撃だった。

「……何を、言ってるんだ?」

 覚えているのなら、どうして。
 ふらふらとの方に足が向くのを、キッドが立ち塞がり阻止した。

「!」
に近くんじゃねえ!」
「キッド、どいてくれ!、どうして…!」

 すぐそこにいるのに、届かない。たった数歩の距離がもどかしい。縋るような目を向けても、は俯いてしまって答えてくれなかった。

「お別れは済んだか?」

 ヤマネコがユナの肩を抱き寄せ、唇の端を釣り上げた。余裕のある勝ち誇った笑いに、混乱が消え怒りに変わる。全身の血が沸騰しそうだった。

「(よりにもよって、その体で。奪った僕の体で、)」

「触るな…!」

 飛び掛りかけたのを、事態を見守っていたツクヨミが再び止めた。

「ヤマネコ様、今は引いたほうがいいよ」?「ムダだ。この小屋は完全に取り囲んだ。お前たちに逃げるすべはない」
「け!」
「──そうかな?」

 絶体絶命のこの状況に、新たな人物の声が響いた。声の方に目を向ければ、大きな鳥が降下しながら近付いてくるのが目に飛び込んできた。
 鳥──かつて海賊船で戦ったらっしゅまると、その背にはファルガ船長の姿がある。ファルガはセルジュと目が合うと、にやりと笑ってその手を差し出した。

「乗れ!!セルジュ!」

 奇跡的な反射神経──セルジュはファルガの手を掴むと、必死にらっしゅまるの背にしがみ付いた。
 驚いたようなヤマネコとキッド──そして悲痛な顔でこちらを見上げるの姿が、だんだん遠くなっていく。その光景は、悪い夢でも見ているようで…現実だと言う実感が湧いてこない。涙に濡れたの姿だけが瞳に焼き付いていた。
 海賊船に足を付けても何だかふわふわしたままで…。続々と乗船する仲間を横目に、セルジュはふらふらと船首に近付いては、隠者の小屋のあった方角をぼうっと眺めた。

…」

 脳裏にヤマネコと手を重ねていたユナの姿が蘇る。
 悲しそうに首を振って…
 力なく笑って…
 ヤマネコに肩を抱かれて…
 それを何度か繰り返したところで、少しずつ、少しずつ現実だと認識して来た。

「私は、全部覚えてるよ。だけど……そっちには行けない」

「うそだ」

「ごめん…」

「うそだ…!」

 どんなに否定しても、事実が変わる事はない。
 信じていた希望が、粉々に砕けてしまった。

「セルジュ……」

 打ちひしがれる背に掛けられた、ツクヨミの遠慮がちな声。それに答える余裕はセルジュにはなかった。

「あんたにとって、いちばん大切なものって、一体なに……?そのために、いま自分になにができて、なにをやらなきゃいけないか……、そいつを考えるんだよ。おまえでなくて誰がやるんだ!?今でなくて、いつやるんだよ!?そうだろ、セルジュ?」

 ツクヨミの声はいつにも増して真剣で、だんだん力強くなっていった。慰める様な、励ます様なその言葉に、脳が徐々に回転を始める。

「(そうだ…ここで止まっていても、何も解決しない…)」

 辛くても、進まなければならない。
 セルジュはツクヨミを振り返り、ずっと聞きたかった事を口にした。

「ツクヨミ…は…彼女は、一体何者なんだ?どうしてあいつに味方するんだ?」
「……いいよ。教えてあげる」

 そう答えるツクヨミは、どこかヤケになったような…吹っ切れた様子だった。

「古龍の砦で次元の渦に飲まれたあの子は、過去に飛ばされ『運命の神』と出会った…あの子はそこで心を囚われたんだ」
「運命の神…?」
「それが、今のセルジュ…ヤマネコの事だよ」
「…!ヤマネコが、」
「皮肉な話だよね。よりにもよって親友の仇を好きになっちゃったんだから…責めてあげてくれるなよ。記憶を失くしてなーんも覚えてなかったんだから」
「……どうしてそんな事を知っていて、僕に教えてくれるんだ…?」
「さあね。そこは企業秘密ってやつさ」

 ツクヨミは面倒臭そうにシッシッと手を振った。

「さあ、この話はもう終わりだよ。あんたはまだやる事があるんだから、早く行った方がいいんじゃない?」
「ツクヨミ……ありがとう。ツクヨミがいてくれて、本当に良かった」

 次元の狭間からずっと傍にいてくれた事が、どんな理由があろうとセルジュにとっては嬉しく、心の支えだった。そう伝えると、ツクヨミはもごもご口を吃らせた。

「……別に、あたいは…──」
「ん?」
「…何でもないよ、ほら、さっさと行きなって」
「うん、そうするよ」

 口ごもったツクヨミを見つめていると、再び「早く行け」と手を振られてしまったので、弱々しくも笑いながらセルジュは船首を後にした。
 遠くなっていくセルジュの姿を、ツクヨミは見えなくなるまで眺めていた。

「あーあ…」

 一人残されたツクヨミは、誰にともなく呟いた。

「どうしてあたいがあいつに、あんなこと教えてやんなきゃいけないんだよ?ツクヨミ、バカだよ、おまえ…」

 矛盾する自分の行動と感情に、ツクヨミは大きな溜息を吐いた。
 自分のしている事を考えると、泣く資格などない事はわかっていた…それでも溢れてくるものを止める事は出来ない。

「さよなら、セルジュ」

 その日、ツクヨミはセルジュの前から姿を消した。
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