16
ヒドラの体液をドクに渡し治療を待っている間、どうやら気を失ってしまったらしい。
極度の緊張か疲れか、目が覚めたのは、翌日の夕方頃だった。
一瞬、自分が何をしていたのか考え、そして思い出した現実に顔を青くしながら慌ててベッドから飛び起きれば、部屋の入り口から声がかかった。
「ああ
、良かった。目が覚めた?」
笑顔でこちらを見るセルジュの姿を認識したーー瞬間、
はセルジュの服を掴み、彼の体を揺さぶった。
「セルジュ!キッドは…?!キッドはどうなったの?!」
「ちょ、…!落ち着いて…!」
「あ――ご、ごめん」
勢い良く揺らしすぎたのか、若干顔色が悪くなったので慌てて手を放す。
セルジュはそんなにも気を悪くしてない、というように微笑み、「大丈夫だよ」と優しげな口調で告げた。
「キッドは無事だよ。助かった…もう心配ないよ」
助かった――その言葉を聞いた瞬間、の体から力が抜けた。
ふにゃふにゃとその場にへたり込み、ホーッと息を吐く。
「良かった…。助かったんだ…」
思わず嗚咽しかけたのを必死で耐える。が、耐えきれなかった涙が、の頬を一筋伝った。
セルジュはそんなの側に屈み、その頭を撫でた。
「良かったね」
「うん…よ、良かった…!」
彼が、セルジュが居てくれたからキッドは助かったのだ。
一人ではきっとどうしようもなかった。
大切な人を守ってくれた――だから、は精一杯の感謝を込めて微笑んだ。
「セルジュ…ありがとう」
その笑顔を見た瞬間、セルジュの心に大きな衝撃が走った。
綺麗だ。
真っ先に思ったのはそんな事で。
ハッと我に返った後、自らの感情の気恥ずかしさに顔を赤く染めた。
「(…僕は、一体何を)」
「ねえセルジュ、キッドに会えるかな」
「え、あ、うん。大丈夫だと思うよ」
の問いかけに、セルジュは無理矢理思考を変えながら答えた。
「僕もさっきまでお見舞いに行ってたんだ。が起きたら来て欲しいって、キッドも言ってたよ」
「本当?」
今度は花の綻んだような笑顔に、クラリ、と目眩がした。
はそんなセルジュの様子に気付く事なく、素早く立ち上がる。
「じゃあ私、診療所へ行くね。セルジュ、また後でね!」
「あ、う、うん。後で…」
言うが否や、は家の中に踵を返し、屋上からロープを使って診療所へ降りて行った。
「……」
そんなを見送り、セルジュは自分の中に生まれた感情の正体を考えていた。
++++++++++
「失礼します」
「おや、君は…」
「こんにちは先生」
診療所に顔を出せば、医師であるドクがを出迎えた。
は奥の部屋に目配せしながら「あの…」と口を開く。すると、ドクはすぐに穏やかな笑みを浮かべた。
「キッド君のお見舞いだね?」
「は、はい。あの、会っても大丈夫ですか」
「勿論だよ」
もっと話をしたいのは山々だが、如何せんキッドの様子が気になる。挨拶もそこそこに、キッドのいる部屋の扉をくぐった。
「よお!」
そこには寝間着姿のままベッドに腰掛けるキッドがいた。
思っていた以上に元気な様子に、肩の力が抜ける。
そんなの様子にも何のその。キッドはベッドから降りると、の方に向かって軽やかに歩いてきた。
「お前気失ったんだって?大丈夫か?」
何を言うか。
「…それはこっちのセリフでしょー!」
の突っ込みに、キッドは愉快そうに笑った。
「しかしアレだな、ヒドラ?だっけか。中々にえげつねえ代物だったな」
お互いベッドの上に向き合って座る。柔らかい風がカーテンを揺らし、二人の間に流れた。
キッドは窓の縁に腕をかけ、怠そうに呟いた。
「流石のオレもヤバい所だったぜ」
「本当、何とかなって良かったね」
「ん…それなんだけどよ」
キッドは体をぎこちなく動かしながら視線をあちこちに向ける。何か言いたそうな、言い淀んでいるような。
そんなキッドらしからぬ様子に、は「まさか」と顔を青くした。
「まさかキッド、まだ体調悪いんじゃ…?!」
「は?」
「大変!熱は?!気分は?!」
「おわー!!?」
飛びかかる勢いで近寄って来たに押される形となったキッドは、その勢いのままベッドに押し倒された。
「ちょ、」
枕に沈んだまま、首だけ捻ってを見上げる。は顔を俯け、小刻みに震えながら何かブツブツと呟いていた。一体何だ?と耳を澄ますとーー
「許さない…もう許さない!こうなったら私が直接ヤマネコをとっちめてやるんだから…!」
吐いていたのはヤマネコへの恨み言だった。
…気持ちは、嬉しい。
が、誤解されたままなのは御免である。
「落ち着け…」
そう言いながらそっとの体を抱き寄せた。
は戸惑った様に体を強張らせたものの、大人しく腕の中に収まっている。
「オレはもう大丈夫だ」
「…本当?」
「当たり前だろ。このキッド様があれ位で死ぬ訳ないだろーが」
「……死にかけたじゃない」
の声は暗い。キッドの服を強く握り、震えた声で吐露する。
「あんな目に遭うのはもうたくさん。キッドがいなくなったら…私、どうしていいか解らない」
「、」
思い出すのは、初めてこの世界に来た時の事。
異世界に放り出され、絶望の中射し込んだ光。キッドがいなくなると言う事は、その光がなくなると言う事だ。その先にあるのは、絶望と孤独。
「…」
キッドは黙ってしまったを暫らく見つめた後。
「バーカ」
の額を小さく小突いた。思わぬ反応に、がパッと顔を上げる。
「な、ば、ばかって何よ。私は…むぐっ」
何か言おうとしたの顔を両手で挟み込む。
そしてそのままぐりぐりと押さえつけると、フッと笑った。
「心配しすぎなんだよ、お前は。オレより一個上のくせに情けねえなあ」
「うーっ」
そう、年齢的にはの方が一個上なのだ。
「お前を拾ったのはオレだ。帰れるまでは、ちゃんと最後まで面倒見てやるよ」
「い、痛いよお」
そこでやっとを解放したキッドは、頬を押さえるに向かい、少し照れくさそうに笑った。
「なあ、心配してくれて……ありがとう」