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さて、このまま一気に古龍の砦に向うのかと言う話になった時、不安気な表情をしたのがグレンだった。何せ要塞としても使われ、怪しげな噂が多々ある場所。何かしら情報が欲しい所だ。
北東に騎士団を引退した老騎士が住まう島があると言うので、先にそちらへ行く事になった。「何か情報あるかなあ」とぼんやり考えていた達は、島に着いた途端、その異変に身を固まらせる事になる。
隠者の小屋と呼ばれるそこは、全体を草木で覆われた小さな島だった。青々とした葉に、太陽の光が当たり輝いている。片隅に小さな井戸と、その上に掛けられた洗濯物を干すような木の棒から、僅かに人の痕跡が窺える。
元々は木々に囲まれた美しい場所だったのであろう。だが。
「な、なんだこれは!?」
まず鼻に付いた、焦げた匂い。
島の中心を囲うようにして生えた大木の、一際大きなものがその身を墨色に変えていた。焼き払われたのか、一目見て異常だと言う事が解った。
大木の前、大きく開いた広場まで駆け寄ると、キッドが辺りを見回しながら叫んだ。
「ヤマネコがやったのか?!」
「ピンポ〜ン」
それには
でもセルジュでもグレンでもない、全く別の声が答えた。
「いや、ブ〜〜かな?正確には、ヤマネコ様の命令であたいがやったが正解で〜す」
どこから現れたのか、ツクヨミがふわりと一回転しながら達の目の前に落ちて来た。
すとん、と地面に足を付けると、にこ、と笑いこちらに向かって手を振った。
「セルジュ〜
〜お久しぶり〜」
曇りのない笑顔に力が抜ける。が、彼女がこんな事を引き起こしたと言うのならそうも言ってられない。
ツクヨミが一歩近付くのに合わせて、その分後ろへ下がる。
「ツクヨミあなた…どうしてこんな事をしたの?」
「へへぇ〜、そりゃあアンタたちへの見せしめと〜。町で聞いたかもしれないけどここに住んでるじいさん、アカシア龍騎士団の盟友でスゴウデだったって話でさぁ。将来ジャマになりそうだから、ついでにやっつけちゃおうという作戦だったんだよ」
その言葉に激昂したのがグレンだった。
「ツクヨミ!!貴様!!じいをどうした!?」
の肩を掴んで後ろに押し退けると、一気に抜刀しツクヨミにその切っ先を向けた。
「なによ、グレンちゃん、熱血しちゃって」
ツクヨミは向けられた刃に慌てる様子もなく、逆に「べーだ」と言いながら片手でグレンを挑発してきた。それが増々グレンの逆鱗に触れたらしい。「てめえ…」と今にも切り掛かりそうなグレンに、
が慌ててその腕にしがみついた。
「待って、落ち着いてグレン!そんな単純な挑発に乗っちゃ駄目よ!」
「だが、じいが…!」
「ツクヨミ…」
はツクヨミを見つめた。
はツクヨミとの親交は無いに等しい。だが、それでも数回の対面では、少なくとも悪意は感じられなかったし、何よりセルジュに対する態度からして、本気でこちらと敵対しようとは感じられなかった。
本当の目的は何?問い掛けるような視線を投げかければ、ツクヨは小さく肩を竦め、やれやれと言った風に溜め息を吐いた。
「やだなあ、そんな目しないでよ…。安心しなよ、期待はずれな事にじいさん、留守なんだよなぁ。まったく、何処いっちゃったんだよ」
その言葉に安堵する。それはグレンも同じだったようで、掴んだ腕から少しだけ力が抜けるのを感じた。
それでも射抜く様な眼光はそのままに、張り詰めた緊張が流れる。
「でさぁ、セルジュ〜 もう1つ、ヤマネコ様から命令があってさぁ」
「え?」
変わらない暢気な口調。毒気のない笑顔に嫌な予感がした。
「あ・し・ど・め、させてもらうよ」
「……!」
ツクヨミの一言で、警戒態勢だったセルジュ達が一気に戦闘態勢に入った。
「さぁ、た〜っぷり時間をかけてあげようねぇ」
「ちょっとま…きゃあっ?!」
ヒュッと、何かが勢い良く飛んで、の足元にめり込む。それがツクヨミから発せられた彼女の攻撃だと解ると、は顔を青くしながら一歩下がった。
「怖!!」
ひい、と己の体を抱きしめるに、ツクヨミが思い出したかのように呟いた。
「ああ、ごめん。アンタに怪我させたらヤマネコ様に怒られちゃう」
「は??あなた何言って…」
「は下がってろよ!」
が問い掛ける前に、横からキッドがツクヨミに向かって飛び出す。
はツクヨミの言葉が気になったが、言われた通り皆より一歩下がった場所で、いつでもエレメントを発動出来るよう意識を集中させた。
――アンタに怪我させたらヤマネコ様に怒られちゃう
「だから…なんで、」
ちりちりと不快感が胸を覆う。
友人の仇である人が、何故自分の身を案じるのか。
――お前は元々私と共にいる筈なのだ
蘇って来たのは、蛇骨館で向けられた言葉。腕を掴まれた感触を――いや、心に嫌悪と恐怖を植え付けられた事を思い出す。それを耐えるように、
はギリっと唇を噛んだ。
「…知らないわよ、あんたなんて…」
大体、そんな事言っておきながら邪魔しに来てるではないか。
一体何なのよ!苛立ちを魔力と一緒に込める。エレメントを発動する独特の音が響いた。
がエレメントを使おうとするのを見たツクヨミが、セルジュ達から一歩引く。
同じくエレメントを発動させようとしたのだろう。魔力を溜め始めた所で
はにっこり笑った。
「残念、私の方が早いわ」
ヒドラの沼でセルジュとレナが驚いた
の魔力の高さ。それに一番驚いたのは
本人だ。
何せ魔法などとは無縁の世界で生きてきたのだ。好奇心もあったが、それ以上に未知の力が怖かった。
初めてエレメントを使った一年前。魔法が使える事も、魔力が高いと言われた事もぴんと来なかった。実は今もぴんと来ていない。だけどその力はこの世界で生きるのに役立ってくれている。
「(当てる訳じゃない、大丈夫)」
鬱憤を晴らすかのように、一気に白のエレメントを放った。
++++++++++
エレメントによる衝撃の後、ツクヨミが体制を崩した一瞬の隙をつき、セルジュが彼女の懐に入り込んだ。まだ噴煙も晴れぬ内に起こったそれを、
は遠目に確認していた。
事実、暫くして煙が晴れると、ツクヨミが地面に座り込んだ状態で現れた。
「あたたた……。やっぱり強いね」
ツクヨミはよいしょ、と反動をつけて起き上がると、前後の服の汚れをはたき、再びこちらを見た。
はそんなツクヨミの前に立つと、何か行動を起こす前にその腕を強く掴んだ。
彼女には聞かねばならない事がある。
「…あなたが言ってる意味、全くわからないの」
「へへえ、そりゃそうだろうね」
困り顔の
に対し、ツクヨミは笑顔である。
の耳元にそっと口を寄せると、これまでの彼女とは違う、静かな口調で囁いた。
「
、これ以上進んでも辛いだけだよ。悪い事言わないから、全てが終わるまで、どこか静かな場所で隠れていたほうがいい」
「え…」
横目で見た彼女の表情は、やけに悲しそうだった。それも一瞬の事で、次の瞬間にはもうどこにも悲愴の色はなかった。
力の抜けた
の手から抜け出すと、今度はセルジュに向き合った。
「う〜ん、ねぇ、セルジュ。悪いことは言わないから引き返しなよ」
「そういう訳にもいかないさ」
ツクヨミはセルジュの言葉に答える事なく、視線だけをキッドに向けた。
「そいつと一緒にいると、ろくなことにならないよ!その娘は、あんたに災いをもたらすよ〜」
「待て!」
「バイバーイ」
キッドがツクヨミを捕まえる前に、ツクヨミが素早く宙に浮かぶと一回転。そのまま膝を抱えて宙に浮いたまま後ろへ下がっていき、黒い影となって消えていった。
「ケッ、一体なんだってんだ!」
キッドが苛々したように足下の土を蹴り上げた。
何とも言えない空気の中、
達の後ろから足音が届く。
「おまえたちは、ヤマネコの手の者か?」
振り返れば、一人の老人が杖を付きながらこちらに歩いて来る所であった。
立派に蓄えられた白髭。白と青の服に包まれた細い体。一見して非力そうな老人だったが、垂れ下がった眉から僅かに覗く瞳は先鋭を保っていた。
その色に
は僅かに身を堅くした。
敵だと思われている?
何か言わなければ、しかし、何か言うより先にグレンが老人の前に飛び出した。
「じい!」
「おぉ!グレンか、久方ぶりじゃの。うむ、元気そうじゃ」
「じい、よく無事だったな」
「うむ。近く彼奴が古龍の砦に向かう予定だと、リデル様から知らせがあってな。大事をとって、しばらく隠れていたのだが……。やはりヤマネコめ、あいさつに来よったな」
老人はグレンの姿を認めると警戒を解いた。
どうやらこの老人が目的の老騎士のようだ。老人とグレンのやりとりを黙視していると、ふいにその目がこちらを向いた。
「ところでグレンよ。この者達は、一体誰じゃ?」
「あぁ、彼らは……」
とグレンが紹介しようとするも、老騎士がそれを制した。
「まぁ、ここで話すのもなんじゃ。部屋に行くとしよう」
「あの、どこへ…」
老人が焼けた奥へ歩いて行く。
不思議に思ったセルジュが思わず声を掛けると、老人は「何てことはない」と笑い、焼けた大木の上に乗った。
「いずれこんなこともあろうと思ってな。地下だけは、頑丈につくっておいてあるわ。中までは燃えてはおらんだろ」
「ああ、そうなんですね」
焼けた大木の中心、ぽっかりと開いたそこに梯子が掛けてあった。ここから地下へと通じているらしい。一度辺りを見回すと、
達は老人を追って中に入っていった。
「そうか……、そんな事がの」
老人の名はラディウスと言った。
セルジュが今まで起こった事を伝え、何か知っている事はないかと訪ねると、彼はどこか遠い目をしながら語りだした。
「確かにかつてはわしも、アカシア龍騎士団の一員として剣をふるいもした。グレン達の父のガライとわしと、鍛冶屋のザッパと三人で、よく戦地をかけめぐったものじゃ。だがそれも、もう十五年以上も昔の話じゃ……」
ラディウスは更に続ける。
中央大陸でガライが命を落としてから一線をしりぞき、ガライの息子たちの後見人となった。
そして四年前ダリオが一人前の騎士に成長し、ガライの剣イルランザーを引き継いだ時、正式に引退。それ以来ここに引っ込んで、世間を離れ、のんびり暮らしていた…。
「しかし、そのダリオもすでにこの世の者ではない。わからんものじゃな、人生というものは……」
「……」
誰も口を挟めなかった。満たされた人生からの、突然の悲劇。
は横目でちらりとグレンの表情を窺った。グレンは何の感情も表すことなく、静かにラディウスの言葉に耳を傾けている。
「丁度その頃のことじゃ、ヤマネコが蛇骨様に接触して来たのは。あらゆる傷をいやし、どのような夢をもかなえるといわれる伝説の宝、凍てついた炎の情報をもって」
こちらに背を向けていたラディウスがセルジュに向き直る。
「ヤマネコという男が何を狙っているのか、わしにはわからぬ……。じゃが、蛇骨様はその伝説の炎の力を用いて、パレポリ打倒をもくろんでおられるのではあるまいか」
「パレポリを?」
が問うとラディウスがうむ、と頷く。
「ゼナン中央大陸を支配する、軍事国家パレポリ。その圧政の下で、多くの民が苦しんでおる……。かつてのガルディア王国のような平和で、明るい世界をひょっとしたら大佐は望んでおられるのでは……。さもなくば、いにしえより傷つけあい、殺しあう生命の、その理由を……?」
後半は自分へ言い聞かせているような口ぶりだった。
「あの、古龍の砦について、何か知りませんか?」
セルジュの問いに、ラディウスは解らない、と言う様に首を振った。セルジュから視線を逸らし、数歩遠ざかる。
「いずれにせよ、わしは争いに巻き込まれるのはもうごめんじゃ。それに、蛇骨様に刃を向けることなどわしにはできぬ」
「……」
それは、ラディウスの口振りからよく解っていた。彼は蛇骨大佐を心から崇敬しているようで、大佐と敵対する位置にいるセルジュ達に力を貸してくれるとは到底思えなかった。
「お若いの、ヤマネコと剣を交えるつもりなら、心するがいい。あれは――恐ろしい男だぞ」
ラディウスが溜め息を一つ吐き、ゆっくりと振り向く。
「今日はここでゆっくり休んで、明日の朝出発するがいい」
纏う空気を柔らかく、まるで話は終わりだ、と言う様に。
古龍の砦の情報とヤマネコの目的が解らなかった以上、
達もこれ以上詮索するつもりはない。緊張を解いて体の力を抜く。
「でも、先を急ぎたいので…」
そう言うセルジュに、ラディウスは「やめなさい」と至極落ち着いた声をかけた。
「ここらの海には、呪われた亡霊どもがうようよしておってな。そいつらが船を襲っては、人の魂を喰らうという噂じゃからな」
亡霊と聞いて、
の背筋が凍った。
そんな
とは対照に、隣にいたキッドが鼻で笑う。
「なんだ、幽霊船だって?ハッ、笑わせるなよ!子供じゃあるまいし」
「海を甘く見るでないぞ、嬢ちゃん」
きっぱりとした声が響く。
「わしら人間の知っておることなど、しょせん陸の上と、海のほんの上っ面ばかりのわずかなことにすぎん。はてしない海が、懐に何をひそませているのか、わしらには知りようもないのじゃ」
賢者の忠告に、流石のキッドも、何も言えなくなったようだった。