宇宙の片隅で星が死んだ日


 クロノポリスは不思議な場所だった。

 残留思念という物体、フェイトが言っていた『人のようなもの』。かつては人だったと言うからか、会話が出来るものもいるから驚きだ。彼らがコンピューターを動かし何やら行っているが、内容はさっぱりだった。
 ともかく人がいない。フェイトは『イメージ』だと言うし、あとは残留思念とセキュリティロボばかり。
 フェイトは基本的に地下にいるらしい。地下はなにやら重要な場所らしく入れて貰えなかったので、仕方なく一人エレベーターホールに腰を落ち着けている。

「……寂しいなあ」

 呟きが寂しく木霊する。広い空間に、一人きり。
 イメージでも何でも、人型で意思の疎通が出来る相手がいるのは有難い事だったのに、フェイトは地下に篭っている。そもそも地下に行くにはカードキーが必要らしく、こちらは会いに行く事すら出来なかった。
 圧倒的な孤独──それが、今の状態では少し心地良い気もするが、やはり少し寂しい。

「…記憶喪失って…本当になるのね…」

 目が覚めてからどの位経っただろう。何か思い出そうと頑張ってみたが、自分の名さえも思い出せない。遣る瀬なさに深いため息を吐いた。

「はあーあ……」
「何を唸っているんだ?」
「!」

 ハッとして顔を上げる。数メートル先に、相変わらずの無表情でこちらに向かってくるフェイトがいた。
 その無表情すら嬉しくて、椅子から軽やかに降り立ちフェイトの前に躍り出る。

「フェイト、どうしたの」
「これを渡しに来た」
「?」

 映像の癖にどう持っていたのか、差し出されたその手にあったのは。

「カードキー…?」
「これで地下に降りられる。待たせてすまなかったな」
「……行っていいの?」
「ああ」

 ロックが掛けられる程重要な場所に立ち入っていいのか。おずおずと遠慮がちに尋ねれば、なんて事はないと言う返事が返ってきた。

「私も君と共にいたい」
「えっ」

 まっすぐな眼差しに一瞬どきりとした。

「そうだな…但し、ないとは思うが…私がシステムダウンした時は入らないでくれ」
「う、うん、…わかった!」

 手の中にあるカードキーを見て微笑む。

「(良かった、放置されなくて)」

 一人でいなくて済む事が素直に嬉しかったし、無表情で何考えてるのか解らないフェイトも、少しは気にかけてくれたのも何だか嬉しかったのだ。

「……」
「うん?な、何?」

 じっと見つめられ、先程の言葉も相まって固まる。

「初めて笑ったな」
「え…」

 指摘されてから初めて、ここに来てから一度も笑っていなかったのだと気付いた。
 その事に気づく余裕すらなかったが、少し笑っただけで心の重荷が少し軽くなった気がした。

「そうだね…何だかわからない事だらけだけど、笑った方がいいね…」
「ああ」

 そして、彼も笑った。唇の端を上げただけのものではない。どこか不器用な感じではあったが、初めて見せた「笑顔」と呼べるものだった。

「…フェイトも笑った方がいいよ。ずっと無表情だったじゃない」
「仕方ないだろう。必要もなかったし、向ける相手もいなかったのだからな」
「………そうね。残留思念やロボ相手に笑ってたら変な人になっちゃうもんね。ね、地下戻るの?一緒に行っていい?」
「ああ…案内しよう」

 足取りは軽い。エレベーターに乗り、フェイトに続き地下に降り立つ。ニ対のロボット(ベリルと言うらしい)の脇を擦り抜けると、厳重そうな扉が見えてきた。扉の上方には何やら看板が掲げられている…。

『Project Kid』

「…?」

 目の前に一瞬だけ映像が走った。
 揺れる、金髪のおさげの少女…。
 自分の知っている人物だろうか。Kid、キッド…何回も反芻してみたが、最初見た映像以上の事は何も出てこなかった。

「入るぞ」
「あ…うん…」

 そして、思考はすぐに別の事で埋め尽くされる。

「…これは…」

 やはり機械で覆い尽くされた、広い円形になっている室内。
 ──光る、何かが頭上にあった。
 厚いガラスに覆われていてよく見えないそれは多くの管に繋がれており、鈍く光を放っていた。
 光に引き寄せられる虫のように、無意識に「何か」に近付き、ぼんやりとそれを見つめる。

「凍てついた炎。あらゆる望みを叶える伝説の宝と言われている」
「凍てついた…炎…」

 遠いどこかで、聞いたことがあるような気がした。

「…なんだか、すごいね」

 居心地の悪さに炎から目を逸らした。
 重い空気が立ち込めている。先程まで入りたくてたまらなかったここは、立ち入ってはいけない領域だったのだと流石に解った。

「…ねえフェイト。あなたは、何者なの?」

 初めて会った時、ずっと人類を見守り続けていると言っていた。それがどういう意味を持つのか。あの時は自分の事でいっぱいだったけれど、今ならそれがとても重要な言葉だったと理解出来る。

「私はフェイト。人類の運命の神。人類があるべき道へ進むようにここで導いている」
「神様…?」
「あるべき未来の為に不必要な行動や人間は排除している」
「あるべき未来って…?排除…?そんな事が出来るの…?」

 フェイトの言葉は到底自分の理解を超えていたし信じ難いが、クロノポリスで見てきた数々の物事を考えれば、その言葉が嘘でない事は納得出来た。そもそも嘘を付く理由がない。
 不必要な人間を排除するなんて…随分物騒な神様だと思った。そして、ふと自分はどうなのだろうと考える。

 データベースに存在しない…イレギュラーな存在…

 フェイトの言葉が蘇る。
 もし、自分の存在が不必要だとしたら?

「(排除、されてしまうのかな)」
「…私が怖いか?」

 考えている事がわかったのか、フェイトがじっと見つめてくる。
 ピリっとした緊張感が走った。炎の気配と相俟って、異様な雰囲気に飲まれそうになるが、それを掻き消す様に首を振った。

「怖く…ないよ。だって、すぐ放り出す事も出来たのに私をここに置いてくれてる…理由はどうあれ、とても感謝してるもの」
「……予想外だな。信じないか、泣いて逃げ出すかと思ったが」
「泣いてもどうにもならないし、大体どこに逃げるっていうの?海に囲まれてて逃げ場がないじゃない」
「まあそうだが…人の心理というものはよくわからないな」

 フェイトが視線を逸らし、空気が和らいだ事にようやく息を吐いた。

「神様と話しをしてるなんて不思議ね…でもあなたは元々どういう形をしてるの?今の姿は研究員だった人の映像なんでしょ?」
「最近になってこのイメージを出力したが、元々はコンピューター…まあ、言うなればロボットのような形だ」
「ふうん…なんでわざわざ「人」の姿をしてるの?」

 周りはロボットばっかりなのに何かやる事があったの?と、何気なしに発した素朴な疑問は、フェイトを困惑させたらしい。

「何故…だと…?」

 元々表情が薄いフェイトから表情が完全に消えた。思ってもなかった反応に、まずいことを聞いたのかと焦る。

「(やばい、排除される)」
「………」
「あ、あの、聞いちゃいけない事だった?ごめんなさい…」

 排除されちゃたまらんと思わず謝る。だが、フェイトはこちらの言葉は聞いていない様だった。

「……わからない、私は何故…?」
「……」

 自分に問いかけている様だった。暫く俯いて考え込んでいたが、ふと顔を上げたかと思うと、こちらを凝視しながら再び思案し始めた。

「な、なに?」
「…私は人類の守り神。私は人を愛している」
「う、うん」
「…だから、その姿を真似して見るのもそう深い理由はない。なんとなく、だ」
「そう…結論が出たなら何より…」

 無駄に緊張した時間を返して欲しい。

「…私は、いつまでもここに在り続ける」

 フェイトは炎を見上げる。
 何か焦がれる様な、夢を見るような眼差しを見て、一つの考えが浮かぶ。
 彼は必死に作っていた。笑顔を、表情を。人間の真似をして、何がしたかったのか。

 ──彼は、人間になりたいのではないか。

 そう考えて、すぐに思い直す。

「(神様が、なんで人間になりたいって思うの)」

 だけど。

 私は人を愛している

 その言葉が、色んな意味を持つとしたら。

「(人になりたい神様)」

 ありえない話ではないと思った。
 フェイトは変わらず炎を見上げている。その視線を追って、赤い揺らめきを見上げた。

「(…あまりここには来ない方がいいのかも知れない)」

 赤い炎はどこか危険な香りがした。人が関わってはいけないと本能が言っている。だけれどその魅力的な光から目が離せなくて。
 二人は暫く無言のまま、炎を見つめていた。
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