宇宙の片隅で星が死んだ日
地下に行ける様になったあの日から常にフェイトが一緒にいる。特に行く所もやる事もないので自然とそうなるだけなのだが。
なるべく目に入れないよう凍てついた炎を背に座り込み、何度目かわからない言葉を繰り出した。
「ねえフェイト、ひまー」
「……その言葉、もう五回目だぞ」
だって本当にする事がないのだ。暇を持て余し半分八つ当たりの様にフェイトに言葉をぶつけている。フェイトと言えば、そんな態度にも慣れた様子で「やれやれ」と首を振ってこちらの不満を流していた。
「もー…。ちょっとは構ってくれてもいいじゃない…はぁ」
欠伸を噛み殺しながら数歩離れた先に佇む「神様」を見つめる。「監視」とやらをしているのだろうか?何をどうやっているのか知らないがその横顔は真剣であった。
「……」
見た目、大事だなあと思った。これがやけに神々しかったり、背中に天使の羽なんかが生えてたりとかしてたら『神様ー!』と恭しい態度になったりするかも知れないけれど。
「(本当に普通の男の人の姿なんだもん)」
本当にそこに一人の人間がいるとしか思えなかった。映し出しているとか言っていたけど、周りに機械も何もないのに一体どういった仕組みなんだろう。暇つぶしにフェイトの研究でもしてみようか…そんな事を考えながらじろじろ眺めていたら、視線に気付いたフェイトが振り返った。
「…何か、思い出せそうなのか」
「ううん全然。名前くらい思い出したいけどね…あっ」
突如思い立って、立ち上がってフェイトに向かって拝んでみた。当然フェイトは訝しげな表情をする。
「何をしている?」
「神頼み」
「……………頼りなくて悪かったな」
「!あはは!」
フェイトにもだいぶ表情が付いてきたみたいだ。長い沈黙の後の、苦虫を潰した様な声に思わず声をあげて笑った。
「やだ、冗談よ!あはは、そんな顔して」
「……」
「…え、怒ってるの?」
返事がないのでぎくりとしてしまう。反応がない時に思い浮かぶのは「排除」というワードである。どきどきしながら身構えていたが返事は返ってこなかった。
たまにこういう事がある。何か考え込んでしまいこちらの言葉が届かないのだ。
一人気まずくなり視線を泳がせる。やがて視線は頭上に輝く凍てついた炎に止まった。あんなにどきどきしていたのに、炎を目にした途端全ての感情が冷めていった。
「(願いを叶えてくれる宝…か…)」
それが本当なら、神様じゃなくてお宝にお願いしてみようか?じっと見つめてみる。
妖しい光が揺らめいている。まるで見つめ返されているような感覚に息を飲んだ。
炎 はどこまでも赤い。あかい、赤い、紅い…紅い、紅に埋め尽くされたその先に、血に染まったような鮮やかなブラウスが見える…。
ここで会ったのも何かの縁だ、オレが面倒見てやるよ!
おーい、起きたか?
なあ、心配してくれて……ありがとう
「あ…っ?」
飛び込んできた記憶に声を上げた。
前も見た金髪の少女が呼んだ名前、それは−−。
「フェイト!な…名前!名前、わかったかも…!」
「名前、?」
「そう!」
気まずさを忘れフェイトに飛びつく勢いで振り返ると、フェイトがようやく反応した。どこか鈍い反応も気にせず言葉を繰り出す。
「あのね、私…」
「…記憶が戻ったら、どうするんだ」
「え?」
歓喜の言葉はフェイトによって塞がれた。
凍った声が、表情が、自分に向けられている。
「…な、に?どうしたの」
こんな負の感情が向けられるのは初めてだった。空気がぴりぴりと震え、異様な空気にたじろぐ。
「私の前から消えるのか」
「フェイト、」
「全て思い出したら、お前はここからいなくなるのか…!私を置いて…何処へ、何処へ行くんだ??!」
「きゃあっ!!」
バアン!
大きな破壊音と共に、飛び散る火花。バチバチと何かがショートする音が響いた。
予想もしてなかった事態に足が竦んで動けないでいると、立ちこめた煙が晴れた先に同じく呆然と佇むフェイトの姿が見えてきた。
「…フェイト?」
「……何だ…こんな感情コードは…?」
どうやら戸惑っているのはフェイトも同じだったようだ。
弱々しく首を振る姿に恐る恐る近付く。肩に置こうとした手はすり抜けてしまい、そこで初めて触れられないのだと思い出した。
「……行くな」
ここで人類を見守っていた神様。彼は限りなく「人」に近い。クロノポリスから人はいなくなり、一人何を思って過ごしていたのだろう。
──寂しかったのかな?
そんな想像をしながら、改めて彼に向き合う。
「…ねえフェイト。消えるとかそんな悲しい言い方しないで」
「……」
「私、会いにくるよ。それに出来るんだったら一緒に行こうよ。ほら、残留思念にちょっとくらい任せても大丈夫だったりしない?なんとかなるよ…ね?そもそも全部思い出せるかわかんないし!」
大丈夫大丈夫!となるべく明るくなるよう努める。
項垂れていたフェイトがゆるりと顔を上げた。そこに先ほどまでの戸惑いの色はない。いつもの表情に、ほんの少しの苦笑いを浮かべていて、そこでようやくほっと息を吐く事が出来た。
「すまない…怯えさせたな」
「…うん。ちょっとびっくりした…」
フェイトの手は未だ震えるユナの手をすり抜け−−重なる事はなかった。
「お前の手を取って慰める事が出来ない…許してくれ」
虚しくすり抜けてしまった手の平をじっと見る。
「いいよ…だけどお願い」
同情、なのかもしれない。彼の姿は本当の彼を表すものではない。でも。
「って呼んで…私の事、ちゃんと名前で呼んで…」
触れたいと、思った。それが全ての過ちだった。
「」
初めて見る柔らかな表情に、泣きそうになった。
「(こんなの、おかしい。神様でしょ?そもそも機械なんでしょ?)」
そんなの解っていたけれど。
「私の傍にいてくれ」
「………」
懇願されるような声色に小さく頷く。
芽生えてしまった小さな感情は、消そうとしても出来なかった。
++++++++++
最初目覚めた浜辺に一人座り込み、じっと海を見つめる。
思い出さなくてもいいのかも知れない。何も知らないままここで過ごすのも悪くない。
だけれどあの少女が、あの眩しいまでの金色が自分を呼ぶのだ。自分にとって大切な人だったんだろう。思い出せと、脳の奥で記憶が叫んでいる。そう今も、目を閉じれば穏やかな笑顔を浮かべてこちらを見ていて。
「(…あなたは誰なの)」
問いかけても、少女は答えてくれなかった。
「ユナ」
「あ…フェイト」
もう一つの悩みの種がやってきた。
「…探したぞ。私の隣からいなくなるな」
「えー、やだ。束縛とか笑えない」
「あはは」と茶化しながら立ち上がる。
「…私、海が好き。こうして黙って海を眺めていると、色々考えている事全部まっさらになって…自分を見つめ直す事が出来る…」
「……」
フェイトは答えない。ただ黙って隣に佇んでいる。その赤い目を見つめていると、ほんの少し胸がちくりとした。
──いっそ、その手を繋げたなら。自分の気持ちに確信が持てるのだろうか。
「ここに来るのは構わないが…暫くは来ない方がいいだろう」
「…?」
「…嵐が来る」
フェイトの視線を追う。
遠くの空に、鈍色の雲が広がり始めていた。