宇宙の片隅で星が死んだ日
ずっと晴天続きだったクロノポリスが、嵐に襲われた。
ここは時間の流れが違うと言っていたが、天候は他の場所と同じなのだろうか?
「わー…これはすごい…」
空は真っ黒で、外に植わっている木々がありえない角度までしなっている。
「…怖い」
様子を見にロビーにやって来たが、激しい暴風雨に怯んですぐ踵を返した。
『フェイトのシステムがダウンした』
『何事も起こらないといいが…』
通り過ぎる残留思念達の会話を聞き流しながら、エレベーターのスイッチを下へ押そうして手を止める。
「私がシステムダウンした時は入らないでくれ」
「そう言えばそんな事を言ってたっけ…。どうしよう」
心細いけれど仕方ない。この際残留思念でもいい。せめて一人にならないようどこかの部屋に行こうと、エレベーターの上ボタンを押した。
「……」
こんな天候の日は、何か悪い事が起きそうな気がして不安になる…。
『やれやれ、どうやら磁気嵐らしい。全く困ったものだ』
『フェイト、復旧作業中…数十分で済む予定』
どくどくと波打つ心臓を抑えながらある一つの部屋に入ると、丁度二体の残留思念がフェイトのシステムダウンについて話している所だった。残留思念が作業する姿を祈るような気持ちで見つめる。
「(早く、早く直って。あの無表情を見ないと落ち着かない…)」
『…おかしいぞ。フェイトは起動したが…炎とリンクしない』
『エラー発生。みんな来てくれ』
何か、起こった。
残留思念達が集まりだしたのと同時に、は慌てて部屋を飛び出した。
エレベーターに駆け寄り、カチカチと何度もボタンを連打する。そんなことしても早く来る訳でもないのに。もどかしい気持ちで表示を見ていると、おかしな事にエレベーターが地下から一階で一度止まったのが目に入った。
「地下から誰か来た…?」
フェイトだろうか。考えている間にエレベーターが来たので飛び乗る。
は少し迷った後、一階のボタンを押した。
「!」
エレベーターから飛び出した先には、背を向けて歩く人間の姿があった。男性が一人と、その背には子供が負ぶさっている。求めていた生身の人間の姿──このクロノポリスでは異質な存在。
「待って…!」
考えるよりも先に声が出ていた。
振り返る焦燥した表情の男性。背負われた子供。
誰かに似ていた。
…誰に?
見覚えのある青い髪。唇は自然と言葉を紡いでいた。
「……セルジュ?」
その名を呼んだ瞬間、全てが繋がった。
流れる情報、溢れる記憶。
「──!」
私の世界。出会った人々…。脳裏でずっと名前を呼んで少女…。
あれだけ思い出せなかった全てが、一瞬の内に戻ってきた。
「何故、この子の名を」
「…わ…私…」
セルジュの名を呼んだに、子供を−−セルジュを背負っていた男性が驚愕の表情を浮かべた。だけど言葉が返せない。反応を示さないに、男性が辺りを見渡しながら言葉を掛ける。
「ともかく行こう。あまり長居は…うっ!」
「あ…っ大丈夫ですか?!……!」
苦しそうな声に我に返り、蹲ってしまった男性の傍に駆け寄って息を飲んだ。
「……やってくれたな…人間め…!」
憤怒の言葉を吐きながら、男性の目が徐々に赤く変化していった。
その見覚えのある色に「まさか」と思いながら、恐る恐る口を開く。
「…フェイト…?」
「……ああ…そうだ」
束の間の沈黙の後、再び唇が開かれた。声色は違ったが、無機質な口調は確かに彼のもので。
「どうして…いつもの姿はどうしたの…?!」
「……裏切り者がいたようだな。炎が、私のものではなくなった」
「裏切り者、?」
「私は暫く姿を消す」
混乱が収まらない上に、頭を殴られたような衝撃が走った。
「や…やだ。私、まだあなたと一緒に…」
突然の別れの言葉に首を振って懇願する。フェイトはこちらを見ずに答える。顔を顰め、何かに耐えるように。
「時間がない…私は後から追いかける。だから、待っていてくれ……」
「……う、ん」
「、必ず──」
ふっと瞳から赤い色が消える。
それは、永遠とも思えた時間が終わった瞬間だった。
「フェイト…!」
フェイトが消えてしまった。
少し前まで暇だ暇だと言っていた、二人だけのあの穏やかな時間はもう戻って来ない。
「(ああ、そうか…やっぱり、私…)」
こんな事態になって、ようやく自覚した。
「…?私は何を…?」
正気を取り戻した男性が立ち上がり、放心状態のユナを見下ろす。
「君は大丈夫か?行こう──…」
突如、男性の姿が歪んだ。
ぐにゃりと、何かに飲み込まれるように世界は暗転する。この感覚は覚えている。次元の揺らぎを潜った時のような、不可思議な感覚…。ああ、戻るんだ。現実へ。元の世界に帰りたいと、がむしゃらに足掻いていた時へ。
ここで凍てついた炎の存在を確認する事が出来た。だけど。
「(なんで…どうして。誰が、私をここに連れてきたの)」
自分の願いは…今はもう…。
「あはは」
自分の体さえも見えない暗闇に、場違いな笑い声が響いた。
「記憶を無くした女の子が、神様と恋に落ちた。それだけ聞けばロマンチックな御伽話だろうね」
淡々と、それでいて皮肉を言う様な言い方だった。
「長い間人間を見守り続けてきたフェイトが、時を経る内に生き物に羨望を抱くようになった」
「そして、突如目の前に現れた『人間』…『』に興味を抱くのは、ごく自然な事だった」
「データーベースに存在しない不安要素であったが、それ以上に興味があった。野放しにするより、手元に置いて監視しておいた方が都合が良かったんだろうね。フェイトはユナをクロノポリスに留めた」
「いつしかフェイトは『人間』である『』を愛し……憎んだ」
「フェイトに精神を乗っ取られたワヅキは徐々に発狂し、四年という年月を経てヤマネコという人格になった。混迷する中で、あんたに対する感情も一層複雑になった。愛というより執着、狂気に近い」
「…全てが終わるまで、隠れてなって…言っただろ。でも、もう遅い」
「フェイトはあんたを見つけた。セルジュの肉体を手に入れ、いずれ凍てついた炎も手に入れるだろう。そしたら」
「あんたはもうフェイトから──この世界から、逃げられないよ」
不思議とショックは受けなかった。
そう言う事だったんだ。全部、全部繋がっていたんだ…。
あの男の人は、
ヤマネコは、
セルジュは、
フェイトは…。
「お前は元々私と共にいる筈なのだ」
彼は、私の事を知っていた。
彼は、私を探していた。長い間、ずっと。
(私はそれを知ってはいけない。大切な何かが、壊れてしまう気がする)
蛇骨館でヤマネコに会った時に感じた、あの時の警告はこれだった。
キッドが仇として追う張本人。セルジュの体を奪った、憎むべき相手。
…私が好きになってしまった人。
こんな運命が待ってるなんて、思ってなかった。
「…知らなければ良かったのに」
──あなたは知っていたんだね。だから、何度も警告してくれたんだ。
「馬鹿だね…ほんと、馬鹿…」
──どうして、あなたが泣きそうなの。
「ツクヨミ…」
ツクヨミは、その問いかけには答えてくれなかった。