26


砦の入り口には碑文があり、そこにはこう記されていた。
『龍体の試練を通り抜けし者、儀式に参列する権利を得る。水晶に宿りし色を長のもとへと返すべし』

「もったいぶりやがって」とキッドが悪態をついた。

「要は中でなんかしろって事だろ。ここで考えてもわかんねーから進んでから考えようぜ」

も同意見だった。

幸い、「試練」と書かれていた砦の仕掛けはスムーズに解く事ができ、要所要所に出てきたモンスターも、一同の苦戦する相手ではなかった。

「でも、長かったね…」

何故か宙に浮いている儀式の間の前にたどり着いた時、はため息と共に呟いた。
だだっ広い砦の中をひたすら回り、モンスターや兵士の目を盗んでここまでやってくるのは中々骨がいる事だった。

「いよいよだな」

キッドは疲れを感じさせない声で、ただ扉を見つめている。それもそうだ、この世で最も憎んでいる相手が、もうすぐそこにいるのだ。
グレンは涼しい顔をしながら、興味深そうに下を見下ろしている。セルジュはどんな様子だろうと振り返ったは、セルジュが額を押さえているのに気付き、慌てて近付いた。

「…セルジュ?どうかしたの?疲れた?」
「……いや、大丈夫だよ」

やや空いて返ってきたその声は暗い。それに言及する間も無く、キッドが扉に向かって足を踏み出した。

「よし、行くぞ!!」
「あ、待って!セルジュ、行こう」
「…うん」

置いて行かれたらたまらない。はセルジュに声を掛けると、急いでその背を追いかけた。

「…大丈夫、ただの夢だ」

ここでもっとセルジュの話を聞いておいたら何か変わったのか…後になって、少しだけ、後悔する。

++++++++++

儀式の間の中には、ヤマネコと蛇骨大佐がいた。
人払いしていたのであろう。他に兵士の姿はない。それを確認してから周囲をざっと観察する。
部屋の周りをぐるりと囲む龍の像が六体、ぼんやりと光を帯びている。中央にはかつて大佐の部屋で見た『龍の涙』が台座に置かれていた。

「やっと来たか。待ちわびたぞ」

まず声を上げたのはヤマネコだった。それに続いて、蛇骨大佐が一歩前に出る。

「おまえたちに恨みはないが、我らの計画の障害となる者は排除せねばならんのだ。悪く思うな」

蛇骨大佐の言葉を聞いたグレンがその前に飛び出した。

「大佐…!これは一体どういうことです?」
「グレンか…。お前は知らなくていいことなのだよ。今に分かる時が来るだろう…」

ずっと聞きたかったのだろうその疑問に、大佐は答えてくれなかった。

「クッ……!」
「さあ、いくぞ!」

グレンの顔に、怒りと失望の色が浮かんだ。責める視線も意にせず、蛇骨大佐が己の武器を手に取った時だった。

「!!」

少し離れたところで傍観していたヤマネコが、いつの間にか蛇骨大佐の真後ろに出現していた。
何を、と驚く間もなく響いた、肉を突き刺す鈍い音。溢れた鮮血。
蛇骨大佐が、がくりと一歩崩れ落ちた。その目は驚きに見開かれている。

「ヤ、ヤマネコ……、裏切る……か……!
「この地で動くのにはあなたは非常に役に立ってくれた。感謝しているよ、大佐。しかし、もうあなたに用はないのだ。この砦があなたと騎士どもの墓標になってくれるだろう。安らかに眠ってくれ」
「く……!すま……ぬ……、リデル……」
「大佐!」

グレンが手を伸ばすも間に合わず、蛇骨大佐が倒れる音が響いた。

「さて、おまえたちにはここで死んでもらおうか」

そして、ヤマネコの冷たい瞳がこちらに向けられた。
怒りに震えるグレンの背が見える。無言で剣を抜くと、ヤマネコにその切っ先を向けた。一連の出来事を見ていたキッドとセルジュも己の武器を構える。

「行くぞ、ヤマネコ!おまえだけは、ぶっとばす!」

戦闘が始まると、は戦闘の隙間を縫って蛇骨大佐に駆け寄った。
既に意識は無く、血の量が多い。

「止血しなきゃ…!」

スカートの裾を破り、傷口に押し当てながらケアルを掛ける。
傷が深いのかなかなか塞がらない。
傷を塞ぐ事に意識を集中する中、その片隅にリデルの姿が浮かんだ。

「だめ…あなたが死んじゃったら、リデルが…リデルが悲しむ…」

深い悲しみに囚われているいる彼女を、更に悲しませる事は出来ない。
集中するあまり息をするのも忘れ、緊張と疲労で額から汗が伝う。
暫くしてようやく塞がったのを確認すると、はようやく息を吐いた。

「よかった、塞がった…」

しかし失った血の量まで復活させる事は出来ない。あとは蛇骨大佐次第だ。
小さくだが穏やかな呼吸に戻った大佐を見る限り、なんとか大丈夫だろうと半分祈りを込めて立ち上がると、戦闘も一段落した所だったらしい。はグレンに駆け寄った。

、大佐は」

ひどく心配そうな表情のグレンに、は安心させる様に笑顔を見せた。

「傷は塞がったよ。血の量が多かったけど…多分、大丈夫だと思う」
「そうか……ありがとう」

若干荒れた室内と、お互い傷がついているものの、決着はまだついていないようだ。
ヤマネコがククク、と笑った。

「予想していたよりも手こずらせるな……。しかし、その程度の腕で私をやれると思ったか。」
「クッ!負け惜しみを!!」
「セルジュよ、考えてみたことはあるか?おまえは何者なのだ?」

瞬きをした一瞬のうちに、ヤマネコが宙に浮いた。こちらを−−セルジュをじっと見つめる。
異質な質問に、全員がセルジュの方を向く。

「セルジュ……!?」
「おまえがこの星に生まれ、今日まで生きてきたことにはいったいどんな意味がある?十年前のあの日に、時空の境界はほころび、私の一部はたしかに死んだのだ……」

セルジュの様子が、おかしい。キッドが近付き声を掛けるも、首を振るばかりで。

「おまえに私は倒せはしないよ、セルジュ…。なぜなら、私を否定するということは、今の自分を消してしまうのと同じことなのだから、な」
「惑わされるな、セルジュ!!こいつの言ってることはみんなデタラメだ!」
「フッ……。それはどうかな。カードには表と裏がある。生と死と……、愛と憎しみと……。すべては、同じものなのだ」
「なにぃ!?わけわかんねぇこと言ってんじゃねぇ!」

ヤマネコが次に現れたのは龍の涙の前だった。
そして、美しく妖しい光を帯びる龍の涙に引き寄せられる様に、セルジュもふらふらと近付いていく。

誰もが口を挟めず、それを見ている事しか出来なかった。

「く…!うぅ…!」

涙を見ていたセルジュが突然、頭を押さえた。ヤマネコもまた涙を見つめている。
儀式の間に映る双方の影。ぎらぎら光る涙。やがてセルジュは膝をつく。その顔の表情が歪んで変わったのを、は見た。

「セルジュ!?おい、どうした!?ヤマネコ、きさま、セルジュに何をした!?」

キッドが我に返って吼える。ヤマネコが反応する前にセルジュが立ち上がった。

「セ…セルジュ?大丈夫?」
「……」

一瞬歪んだ顔。が恐る恐る問いかけると、セルジュがこちらを振り返る。一瞬の間。そして、ゆるりと笑みを浮かべた。

「ああ…、大丈夫だ…。なんの異常もないよ、
「……そう、よかった」

いつもの笑顔だった。

「(さっきのは、見間違い?)」

一体何が起こったのか、ヤマネコに視線を向けると、ヤマネコは己の両手を見つめていた。完全に復活したセルジュが鋭く叫ぶ。

「何をしている、ヤマネコ?さあキッド、倒すんだ!ヤマネコを!!」
「ああ…、わかってる」

キッドがヤマネコに近寄ると、ヤマネコは俯いていた顔を上げた。その瞳に戦意はない。は眉を顰めた。

「(なんか…変)」

先ほどまでの禍々しい雰囲気が消えている。
ヤマネコの戸惑った瞳に、何故か『彼』の姿が重なって。

「…ま、待って−−」
「覚悟しろ!ヤマネコ!!」

の声が届く前に、キッドのダガーがヤマネコの懐に突き刺さった。
ヤマネコはうつ伏せに倒れ、起き上がらなかった。キッドはその前に膝をついてその様子を伺っていたが、そこにセルジュが近付く。

「やったな、キッド」
「あ、ああ……。一瞬のスキを逃さなかった…」
「さあ、とどめをさしてやろう。どうした?カタをつけてやれ」
「…………」

キッドは答えない。何かを考えているように、ヤマネコから視線を外さない。

「そうか、その傷では無理か……。ならば、ナイフをよこせ。俺がケリをつけてやろう、お前のナイフで、な」

は再び違和感を感じてセルジュの横顔をじっと見つめた。こんなに乱暴な口調になる事があっただろうか?

セルジュはキッドの元へ行き、キッドが持っていたナイフを半ば強引に取った。

「いいか、キッド、ルッカの仇をとってやる!死ぬがいい、ヤマネコ!」
「待てッ!!」

振り下ろされる瞬間、キッドは叫んだ。手を止め振り返るセルジュ。

「どうした、キッド?こいつはお前の仇なのだろう?」
「………お前……、なぜルッカ姉ちゃんの名前を知ってる?」

セルジュは不思議そうにキッドの方に向き直る。
握られたナイフがぎらぎらと光っている。

「………?なんだよ、キッド?」
「セルジュには、姉ちゃんの名前を話してない……」
「………!!」

キッドは改めて体勢を立て直し、正面からセルジュにしっかり向かい合った。向ける疑惑の眼差し。

「きさま、まさか…?!」
「……」

ふう、と。セルジュが目を瞑ったまま軽く息を吐いた。
そして、その瞳が開かれたと思った、次の瞬間。

「……!!!」
「セルジュ??!!!」

セルジュが、キッドを刺していた。

倒れるキッド。ペンダントが床にはねる音。唸り声を上げたのは、ヤマネコだったか。
は、足が縫い付けられたかのように動く事が出来なかった。
キッドが倒れるのも。セルジュが、セルジュの姿をした誰かが、凶悪な笑みを浮かべそれを見下ろしているのも。ただただ眺めている事しか出来なくて。

「何をする!」
「邪魔だ」
「…!!」

先に我に返ったグレンが飛び出すも、放たれたエレメントによって倒れてしまった。
誰も、起き上がらない。もまだ動く事が出来なかった。

「ここまでだな、キッド」

セルジュがキッドに近寄って跼み、その頭をつかんで持ち上げる。

「く……!きさま、まさか…ヤマネコか…!?」
「ククク……!おまえもルッカと同じ場所へ行くがいい」

セルジュがナイフを構え、それをキッドへ振り下ろそうとして、やめた。何も思ったのか、そのままキッドの頭を離す。
キッドが再び倒れ伏した重い音と、ナイフが投げ捨てられた金属音が響いた。立ち上がりキッドの横でまっすぐにキッドを見下ろす。

「貴様の始末は、後回しだ」

振り返るセルジュ。その顔には笑顔が浮かんでいた。
狂気を孕んだその笑顔に、体が震える。

−−怖い。

「待たせたな、。さあこっちへ」

差し出された手は、一体なんだ?
意味がわからなかった。ただただ怖くて…だけど。

「よ…よくも…!」

倒れた仲間達の姿。セルジュの姿をしたヤマネコ。
恐怖は消え、全身の血が逆流しているような感覚が湧いてきた。

「…許さない…!」
「おっと」

今にも噴出されそうだったエレメントが萎んでいく感覚。

「あ…っ?」
「同じ手は食わぬよ」
「…!」

封じられてしまったのだと気付き、憎しみに顔を歪めた。
エレメントは使えなくなってしまったが、だからと言って引き下がるわけにはいかない。目の端に映った、先ほど捨てられたナイフを拾い切り掛かる。しかし力の差は歴然で。
あっさりと弾かれ、逆に腕を捻りあげられ壁に押し付けられてしまった。

「…痛…っ」

何も出来ない自分が悔しくて悔しくて。悔しさと怒りと、少しの恐怖。様々な表情が入り混じって涙が溢れた。
そんなを見て、セルジュが−−ヤマネコが首を傾げた。

、何故泣く?」
「こ、殺すなら殺しなさいよっ!」

ヤマネコは心底不思議そうな顔をする。

「おかしな事を言う。言っただろう、お前は私とともにあるべきなのだと」
「…!」

かつて蛇骨館で言われた言葉だった。
あまりにも不自然な言葉を、当たり前のことのように言うものだから。

「なんなの」

力が、抜ける。

「なんで、そこまで私に固執するの…」

赤い瞳が一瞬驚いたように瞬いたが、すぐに笑顔が作られる。

「ああ……そうか、確信はなかったが。まだだったんだな」
「…な…なに、が」
「せっかく手に入れたのに手放す事になるのは残念だが…仕方あるまい」
「あ?!」

ガクンと足元が抜ける感覚。の体が少しずつ地面に吸い込まれていた。

「待っているぞ。次戻って来る時には−−」
「いや!グレン…!セルジュ…!キッド…!!」

ヤマネコの言葉は、最後まで聞き取れなかった。

伸ばした手は、誰にも届く事はなく。
は、暗い闇の中に飲み込まれていった。

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