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「リデルお嬢様、グレンです」

舘の最上階、一段と煌びやかなフロア。立ち並ぶ二つの扉、手前の方でグレンが立ち止まった。
ここがリデルの部屋なのだろう。ノックをすれば「どうぞ」と女の人の声が返ってきた。

「失礼します」

部屋の中には、青い髪の美女がこちらを不思議そうに見つめていた。

「今日はどうしたのグレン?あら…あなたは?」

予想以上の美女に呆ける 。そんな を余所に、リデルは話しかけてきた。
が口を開く前に、グレンが を紹介しようと一歩前に出る。

「リデルお嬢様、大陸で噂の御伽草子をご存知ですか」
「ええ、もちろんよ。だけど…」
「彼女がその人物なんです」
「まあ」

グレンの言葉に、顔を綻ばせるリデル。

「一度あなたのお話を聞いてみたいと思っていたの」
「初めまして。こちらこそ、お会い出来て光栄です」

グレンがベタ褒めするからどんな人だろうと思っていたけど、まさかこんな美人だとは予想していなかった。
なるほど、これなら大抵の男は見とれてしまうだろう。

「(…でも)」

リデルの瞳は深い悲しみの色で満ちていた。

…理由は解らないし、それを詮索する気もない。ただ、自分に出来る事があるならば。

「…楽しんで頂ければ幸いです」

せめて少しでも、その悲しみを忘れられるように。

++++++++++

「ふふ…あなたの話は面白いものばかりね」
「胸が切なくなるような恋のお話もありますよ」

何が良いかな…と口を開いた所をリデルが制止した。

「その前にお茶はどう?喉も渇いたでしょう」
「そうですね…有り難うございます」

言われてみれば、物凄い勢いで話をしていたので喉がすっかり乾いてしまっていた。
カップを受け取り一口飲めば、優しいハーブの味が喉を癒した。ほう、と息を吐いた所でリデルが口を開く。

はどうしてそんな素敵な話を知っているのかしら?」
「元々私の国に伝わる話なんです」
「そう…きっと素敵な国なのでしょうね」
「…はい」

思い出すのは故郷の事。
家族、友人、学校。
つまらない日常だったけど。

「大切な場所、です」
「…どうして旅をしているの?まだ若いでしょうに、あなたの歳で」
「国に帰る為です。帰る為にはあるものが必要で…それを探しながら旅を」

ズキンと胸が痛んだ。
リデルは、いい人だ。グレンや先ほど出会ったカーシュ、恐らく館内の人皆に好かれているだろう。少し話しただけで、 にもその人柄がわかった。

「(私は、この舘から凍てついた炎を盗もうとしている)」

それはリデルを傷つけるだろう。何の罪もないであろうこの佳人を。
でも、それでも は帰りたいのだ。
…例え、彼女を傷つける事になっても。

カチン、とカップを置いて、沈んだ空気を拭うよう笑顔を浮かべた。

「私の事なんてつまらない事です。次はもっと素敵な話を差し上げますね」

それから がリデルの客人になるのに時間は掛からなかった。
蛇骨館に出入りする様になって次の日には「暫く舘に滞在してくれない?」と誘われたのである。
これにはもちろん二つ返事で頷き、堂々と出歩いても良い権限を会得したのだ。

「これからが勝負ね」

舘のどこかにあるであろう凍てついた炎を探さなければならない。
大方、蛇骨大佐の部屋か宝物庫か…。
大佐はここ最近部屋に籠っている為(「客人」と何やら話をしているらしいとリデルが話していた)調査は難しいだろう。

「客人って、ヤマネコよね?嫌だなあ。廊下とかですれ違っちゃったりしたらどうしよう。」

友人の敵と同じ場所にいる…何だか恐ろしい気持ちになってくる。

「ま、今は気にしない方が良いか…」

偵察偵察、と立ち上がり、 は与えられた客室から出て行った。
取り敢えずは館内の位置を確認しておくべきだろう。

「ん?」
「あ」

廊下を少し歩いた所で、初めて舘に来た時出会った紫色の髪の男――カーシュと遭遇した。
カーシュは を見つめ、不思議そうに首を傾げた。

「アンタは確か…」
です。カーシュ様」

ニコッと微笑めば、カーシュは思い出した様に「ああ」と頷いた。

「グレンと一緒にいた…何でこんな所に?」
「リデル様に正式に招かれ滞在させて頂いてます。立派な舘なので、一度回ってみたいと思って」
「何!」

リデルお嬢様の客人!と言う彼の焦った心の声が聞こえ、思わず小さく笑ってしまった。
敬愛するリデルの客人に失礼な言葉遣いをしたと思ったのだろう。
誤魔化す様に咳払いをすると、それはそれは胡散臭い笑顔で「失礼しました」と言い、その笑顔に――

「ぶっ!」

は思わず吹き出した。

「ふふ…っ、ふふふ」
「???」

耐えきれずお腹を抱える に、カーシュが頭の上に「?」を浮かべる。
あからさまなのに無意識か、と益々こちらの笑いを誘う。

「すみませ、ふふ、そんな畏まらなくていいですよ」
「そ、そうですか?」
「気楽に話して頂いた方が助かります」
「そうか…悪いな」

堅い言葉は苦手なんだ、とカーシュは軽く溜め息を吐いた。

「アンタもかしこまらなくて良いぞ。客人だしな」

一瞬考えた後、 はその言葉に甘えることにした。

「じゃ、遠慮なく」
「…で、何だって?舘見学だっけか?」
「はい。今まで各地旅をして、これだけの舘はなかなか見たことなくて」

そう告げるとカーシュの瞳が輝いた。

「そうだろう?古いがエルニドを代々守ってきた舘だ」
「立派ですね。色んな仕掛けもあるみたいだし」
「お前解ってるなあ!」

初めて鉄格子に落とされた事を思い出して自虐気味に言ったのだが、そんなの全く気にせずダハハと高らかに笑うカーシュ。

「よし、俺が案内してやる!」
「ええ?」

かくしてカーシュ案内の蛇骨館ツアーが始まったのであった。

(それにしても変な笑い声…)

++++++++++

「…ここが食堂だ。料理長オーチャの腕はかなりのもんだぜ」

一番に案内されたのは食堂だった。中には沢山の兵が食事を取っている。
厨房には調理中のコックが一人と、見習いが一人。漂う美味しそうな匂いにつられ、たまらずお腹が鳴った。

「(何故、初っ端から食堂?でも)…美味しそう」
「丁度昼だし、軽く食っていくか」
「良いの?」
「腹が減っては何とやら、だろ。オーチャ、ランチ二つ頼む」
「おう!」

厨房から気の良い返事が上がり、二人は空いてる席を探す。

「有り難うカーシュさん。席、あそこでいいかな」
?」

はカーシュの返事を待つ前に駆け出す。
テーブルの先にいたのは、一人で食事を取っていたグレンだった。

「こんにちはグレン、一緒に食べても良い?」
…それにカーシュ?」
「ようグレン」

キョトンとした表情でこちらを見上げるグレン。

「珍しい組み合わせだな。いつ親しくなったんだ?」
「強いて言うなら今さっきかな?舘を案内してもらってるの」
「そうか。おれが案内したかったんだが、忙しくて。今鍛錬が終わった所だったんだ。すまない」
「気にしないで。一人も好きだし、カーシュさんにも声かけてもらったから」

がグレンの前に座り、その隣にカーシュが座る。

「お待たせしましたー」

暫く談笑していると程なくして料理が運ばれてきた。
トレーの上にはホカホカと湯気を上げるオムライスと野菜サラダ、そしてコンソメスープ。おまけに小さいケーキまで付いてきて、 の胸が踊る。焦げ一つない、見るからにふわふわの卵――ああ、とても美味しそうだ。運んできた見習いに礼を言うと、 は期待を膨らませスプーンを運んだ。

「…美味しい!」
「だろ?」
「いきなり食堂に連れてこられたから驚いたけど、うん、何か納得」
「いきなり食堂?カーシュ兄、自分が食べたかっただけじゃないのか?」
「ほっとけ。タイミングだよタイミング」

漫才のようなやり取りを笑いながら、今度はスープに手をつける。
成る程、エルニド領主の食事を作るだけはある。
出された料理の全て満足いくものだった。

「(ああ、幸せ。旅してると干し肉ばっかだから)」
「…なあ

が舌鼓を打っている時、不意に神妙な表情をしたカーシュが話し掛けてきた。

「ん…?何?」
「その…。リデルお嬢様の様子はどうだ?」
「…ん」

口の中の物を飲み込んでから は口を開いた。

「舘に来た時は暗い表情ばかりだったけど、最近はわたしにも笑顔を見せてくれるよ」
「そうか、なら良かった」

心底リデルを心配する様子に はハハーンと薄く笑う。

「(あー…なるほどね。この人ほんとの意味で、リデルが好きなのね)」

グレンしかりカーシュしかり、舘の殆どの人間が彼女を好いている。それはグレンのように憧れだったり、領主の娘に対する敬愛だったり…カーシュはどちらとも違う、愛情なのだとわかった。

「(うーん、しかし皆に好かれるって凄いなあ。ま、あれだけ器量が良くて性格も良いと当然か)」

自分も好きになりそうなのと、裏切るであろう複雑な気持ちを、 は今は深く考えない事にした。
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